『「歴史認識」とは何か』を読みました ― 2015年11月17日 18:56
「歴史認識」というのは一般名詞でありながら、一方で特別な意味を持って使われています。この本の著者は、まず歴史的事実を知らせ、その歴史的事実自体にも意見の相違がありそれぞれの立場と理由があることを知ってもらった上で、読者の「歴史認識」を再構築してもらいたいとはじめにで述べています。これまでにこのブログで紹介した「イスラーム 生と死と聖戦」「平和憲法の深層」でも同じことがいえたと思います。イスラムとISの問題、日本国憲法の問題、そして今回は「歴史認識」の問題について考えてみたいという動機で、この本を選びました。先日の日韓首脳会談の際にも話題の中心となった慰安婦問題が、日韓の「歴史認識」の対立軸となっていると言っていいでしょう。この本では、日本の敗戦処理の経緯から、歴代総理大臣のコメントなどを紹介しながら、当時の政府や関係各国の考え方が整理されています。読後の感想としては、「結局、日本(政府や団体)も日本なら、韓国も韓国、中国も中国、アメリカもアメリカ・・・、どうして歩み寄ることが出来ないのか」というやりきれない気持ちです。この本でも触れられていますが、アメリカ、イギリス、フランスなどの先の大戦戦勝国は、その後の戦争や紛争の後も、戦争に対する反省をしていない国々です。私たち(の先輩)は、侵略や攻撃という犯罪行為だけでなく、戦争そのものを反省し二度としないと考えた国民です。先週、パリで大規模なテロがあったばかりですが、ヨーロッパや中東でテロや爆撃の被害にあった市民の方々への追悼の気持ちとともに、日本・韓国・中国の間の政治的対立を「国民どうしのいがみ合い」と錯覚してはならないと、痛切に思う次第です。「餃子・ウーロン茶が好き」「プルコギ・キムチが大好物」、そんなたわいもないことが言いにくくなったら、この国も要注意です。
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